ワンダー・フル!

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サイケでも、アシッドでも、ドラッギーでもない唯一無二の細胞アニメーション!

65点

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大学在学中に手がけた処女作「FANTASTIC CELL」(2003)が文化庁メディア芸術祭で審査委員推薦作品に選ばれて注目を集め、広島国際アニメーションフェスティバルでは、選考委員や審査員を務めるなど国内外で活躍するアニメーション作家・水江未来の短編を集めた。12年4月1日から365日間、1日1秒分(24コマ)を発表して完成させた「WONDER」をはじめ、水江監督が自ら選んだ全14作品の短編をつないで1本の作品として作り上げた長編素材を上映する。
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東京での公開終了まであと2日という最悪のタイミングですが、備忘録の意をこめてブログに残すこととします…
上の解説にもある通り、水江未来監督による短編14作品をまとめたものを映画館で上映するという、イヴェント的な上映だったわけでして「ノンナラティブアニメーション」に慣れていない私には正直キツかった…
ノンナラティブアニメーションに関しては、以前ブログでまとめたのでこちらをご参照いただければと思います。
水江未来についての予習復習

ノンナラティブ。つまり物語がないということで、いつもの書き方とは違ったものになるかと思いますが、とりあえず書いていくこととします!
 
 
感じたこと
・どうしてもMVのように見えてしまう!音と映像の関係性について改めて考えた…

MIRAI MIZUE ANIMATION SHOWREEL 2003-2013 from MIRAI_MIZUE on Vimeo.

上の動画のように水江監督自身の映像は、ごく魅力的なのですが、作品によっては映像と音楽の完全同期に違和感を感じた。くわえて、映像作品を映画館で見せることの難しさについて考えてしまう…
美術館/ギャラリーで見ると、また違った感想になるような気もするんですけどね。
映画館という装置で見る映像作品は、クリスチャンマークレーの「ザ・クロック」くらい“映画”というメディアとの関連性が見出せないと、作品としての価値を引き出せないんじゃないんですかね。
話は戻りまして、映像と音楽の同期に関しては、映画を勉強しよう!と思った誰もが通る道。大学や専門学校で、ひとつの映像にさまざまな音楽をあてたときの印象の違い、そして何故かどの音楽も合ってしまう事実の不思議について、講義を受けたことのある方も少なくないんじゃないんでしょうか。
そこでよく取り上げられる作品『戦艦ポチョムキン』が名作として語られるのは、映像と音楽がかっちりと組み合わさり、映されている対象がひとつの物語として、意味を堅牢に構成しつつ、作り手の意図をそのまま観客に届けている。つまり「モンタージュ理論」によって生み出された意味の強さだったと思うんですね。
『戦艦ポチョムキン』以後、映画は「物語を構成するメディア」として地位を築き続けるわけでして…
その反対側にいたリュミエールらの話ははしょりますが、
要するに何が言いたいかと言うと、映像と音楽の意味を完全に同期させるモンタージュ理論は意味を決定付け、その意味によって、物語を紡ぐための手法だった。にもかかわらず、今作『ワンダー・フル!』では、それっぽい映像にそれっぽい音楽をはめた、ざっくりとしたモンタージュ理論の使用。加えて、その作品自体は物語から切りはされている。その違和感に置いていかれてしまう感じ。
それが、乗り切れなかった所以かなあと思っています。
延々とMVを見せられているような気分になっていましました。
このあたりの話は、エイゼンシュテインの「映画における第四次元」に詳しく記されていた気がするので、もう一度読み返そう…

・最新作「WONDER」は最高!
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とは言え、14もある短編を集めた今作。
いいね!と思う作品もありました。その最高峰が最新作である「WONDER」これは最高でしたよ!
もちろんノンナラティブということで、今作を鑑賞していない方に文章のみで説明する事は非常に難儀な事なのですが、
なにがしかの細胞が、実はさらに大きな細胞の一部で、その細胞はさらに大きな細胞の一部、そしてその細胞はさらにさらに大きな細胞の一部で、その細胞が何かに取り込まれたとしても、取り込んだもの細胞の一部になり…
ということがただただ繰り返されていくアニメーションなのですが、これは良かった。
いいね!と思ったポイントは大きく2つありまして…
①スクリーンの外に広がる世界の大きさと細胞と言うミクロなものが等価で語られる快楽

「WONDER」という作品に限っては、基本的に背景が真っ白なんですね。
つまり、スクリーンの四辺が真っ白になるということで、スクリーンという閉じた四角形の世界のその先の広がりが感じられる。そして、そこに描かれている細胞はそのスクリーンの外に広がっている大きな世界の一部のように感じられる。
その細胞がどんな形であれ生き続けているさまは、地球という大きな空間の中でなんとか生きている私という存在が肯定されているようで救われている気分のようになった。
②「わかっている」感
「WONDER」はラスト、光に包まれて終わるのですが、あれは僕の体験した死の瞬間にとても似ておりまして…なんて書くと、スピってるみたい、もしくはキチガイを演じているようで嫌なんですが、過去に社会的に認められていないものに手を出してバッドトリップして死にかけたときに見た幻覚が、自分が細胞になっていて、光に包まれると死んでしまうという幻覚でして、その際に見た風景を想起させられたんですね。
クラブミュージックの世界では「フロアを知っている音」という褒めの常套句がありますが、それを引用させていただくと、今作は「死をわかっている映像」に思えました。

それとかあれとか、指示代名詞ばかりの文章でなにがなんやらといったところではあるのですが、よかったんですよ!!!おすすめです!!!
 
 
最後に、今作をdigりたい方、水江未来監督についてdigりたい方にむけ、読んで面白かったインタビューのリンクを張って、制作手法についての動画を埋め込んで、今回は〆っ!
境界なんて邪魔なだけ──マンガ家・しりあがり寿×水江未来 対談

あ。来場者には、デジタルパンフレットのダウンロードに関するアイパスが記された紙が渡されるのですが、まあ見事に紛失してしまい、結局見られず…
URLなど、ご存知の方がいらっしゃいましたら、こそっと教えていただけると嬉しいです…

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